「種」
2006.09.04
「僕は脚が悪いから、走るのが上手く行かない。」
24時間TVが障害者野球を取り上げていた。画面の中で、そう話している少年は、幼い頃に小児麻痺を患ったことからから右半身に障害を抱えている。彼は、守備の負担が少ないピッチャーでの試合出場を目指しトレーニングを重ねていた。
この少年は、大好きな野球へのチャレンジを文字どおり、障害に負けずに続けていた。特集の最後で、試合に登板する夢がかなった彼の投球は、当初撮影された練習でのレベルを遥かに超える素晴らしいものに変わっていた。
その番組の映像に写しだされるプレーヤーたちは、義足の内野手、車椅子の投手、片腕のスラッガーなどなど。彼ら障害者野球のプレーヤーのレベルは、目を見張るほどの高いレベルのものだった。
「人は本気になれば、ここまでやれるのか!」 俺はTVに映し出される選手の動きに目を奪われていた。障害者野球のプレーヤーたちは、物理的に最も不利な状況を「チャレンジの種」と変えている。未だ寝起きの俺の頭は、一気に覚醒した。
彼らは、この世に生まれ出たこと(命)に対して真正面から向き合っていると感じた。
この姿勢に対して恥ずかしくない人生を送っているだろうか?
恵まれた環境に甘えてはいないだろうか?
「いいものを持っているのだけどなぁ。」そう言われて才能を開花できなかった選手を現役時代から山のように見てきた。自分の可能性を自分で決めて、その範囲で適当にやっている選手を腐るほど見てきた。そんな選手も、聞けば必ず「必死で頑張っています。」と答える。これほど、命に失礼な事はないといつも感じる。
朝から、彼らの野球を見て、いつも勝手に自分の可能性を過大評価する俺は、「今日一日を無駄には出来ない。」「俺には、まだまだ足りない何かが、未開発の何かが、この身に残されている筈だ。」とその日一日をスリップするタイヤのように、効率は悪いが、勢い良く動き出した。