「コンピューター?」
2006.10.17
人生観と言うと堅苦しく聞こえるが、人は「いかに生きるか」という目標がなければ、いつかきっと、心のどこかに虚しさを抱えることになるのではないか?
俺のこの疑問に対し、ひとつの答えを示唆してくれる記事があった。
東京からの帰り、新幹線の車中で、いつものように「WEDGE」を読んでいた。そこに、西澤純一氏(首都大学東京学長)の記事が掲載されていた。氏は、“人生観なき生き方が考えないロボット人間を生む”と題して現代人すべてに、生き様の大切さを語ってくれていた。
記事は、人は生きるとは何かを問わずに知識だけを蓄えている。これでは人間はコンピューターと同じだ。と結んでいる。何のために勉強し、それをどう活かすのか?自身の人生をどう生きるかを覚悟せずに、いくら勉強して知識を詰め込んでも、受験勉強以外にたいした使い道はない。記事の中で、若き日の西澤氏は先輩に「お前、この一生で何をやるつもりだ」といわれびっくりしたと書かれている。
今、自分の一生をいかに生きるかを考えている学生は、どのくらい居るのだろう?
どうやって、いい成績をとり、条件の良い就職をするか。もし勉強をする理由がそれだけであるとすれば、とても近視眼的過ぎると言わざるを得ない。
就職は条件だけでない。その仕事を通じて、何をなし、どう生きたいのか?この程度のことは一考する必要がある。自身の人生の中で、仕事などを通じて、その知識をいや、自分自身の命をどう使うかを明確に意識したとき、人には使命感のような物が生まれるのかもしれない。
志を持った知識、志を持った命。志を持って始めて人はその能力の限界を発揮できるのではないだろうか?はじめから「志」を見つける必要はない。それではいつまでも動けないこともある。「志」を探しながら必死で学ぶうちに自分の場所が見つかることもある。大事なことは、どう生きるべきかを考える時間を持つことだろう。
最後の瞬間に、後悔のない生き様は、泥沼の中を動き回るうちに見つかるのかもしれない。