「裸」
2006.09.04
「地位や名声を守ることに汲々とし、失敗をおそれて、思っていることを行動に移さない。だからチャンスを与えられても、あれやこれや言い訳をして、安全なところに身をおこうとする。気にするのは周りの評価ばかり。・・・・」
静岡へ出張した帰りの新幹線の中で読んだ「WEDGE」という情報誌に、住宅金融公庫総裁の島田精一氏の特集記事があり、これは、その記事の中での氏の発言である。島田氏は、今の俺と同じ歳(47歳)のときに、メキシコで武装集団に拉致され、強制的に監獄生活を送らされるという、明日の生死すら予測できないという尋常ではない経験をしている。地位や名誉の全く関係ない世界へ、一瞬にして、しかも強制的に入れられた事が、裸の人間として如何に生きるかを考えさせられたキッカケだったと話している。
最近は、俺も様々な世界の人間と接することが増えたが、衰退傾向にある業界、または改革ということに、進歩の見えにくい業界の人には、冒頭の島田氏の発言にあたる人間が多い。島田氏は「そんな生き方のどこが面白いのか。」と喝破している。若輩の俺が言うのもおこがましいが、全くの同感である。どうせ、いつか死ぬのが必定の人間の一生である。その必定である死に何時遭遇するかも分からないのに、どうして面白くもなく、自分でどこか恥ずかしいと感じる事をいつまでも続けようとするのか?そういう人達は、自分の保身のための行動が、多くの人間の素晴らしい未来を奪っている事を心のどこかでは、必ず知っているはずなのである。人はごまかせても自分の心は騙せない。
この記事によって、俺自身の信条である「棺桶に入った時に、後悔のないように生きてゆきたい」という思いを改めて確認する事ができた新幹線の旅となった。