「上り坂」
2008.06.20
緩やかな坂を上っているつもりが、ズルズルと滑り落ちて行く。
一生懸命に進もうとするが、一向に目的地が近づいてこない。
自分の歩みのあまりの鈍さに、こうした感覚の苛立ちを感じたことはないだろうか?
誰にも、そういった焦燥感に苛まれる瞬間はあるだろう。
誰もが、重い荷物を背負って長い人生の道を歩んでいる。きっとみんな苦しみを隠して歩いているのだろう。
「誰でも求めるものは得られる。欲しいものは山と同じで逃げて行きはしない。だが、よじ登らなければならない。一歩一歩よじ登ることだ」 フランスの哲学者アランは、そう言っている。
こうした言葉は、山に出会い、よじ登る苦しみを経験しなければ出ては来ないだろう。みんな苦しみに出会い、遙かなる山をよじ登ぼろうとして、その苦しみにたたきのめされる。しかし、よじ登りきったところで見えてくるものがある筈である。
そして、先日講演に出かける新幹線で読み切った冨山和彦氏の著書『指一本の執念が勝負を決める』(ファーストプレス)の中には、こうも書かれている。
「何が勝負を決するかと言ったら、指一本の執念なのです」
アランの山をよじ登る苦しさにも、最後は登り切ろうとする執念がものを言うのだろう。
そして、こうも書かれている。
「人が役に立つか立たないかの分かれ目は、
その人にストレス耐性があるかないかなのです」
つまり耐えなければ、ことは成せないのである。
そして、誰の言葉かは知らないが、俺の好きな言葉に
「苦しいときは、上り坂」というものもある。
苦しい今は上り坂。
苦しいときは、よじ登っている途中である。
一人だけではない。
みんなよじ登っているのである。
俺もよじ登ろう。執念を燃やして・・・。