「観葉植物」
2008.04.20
クラブコングの地下駐車場で、満車になった車を移動しているときのことだった。
エンジンをかけたとたんに不意に聞こえてきた歌詞が耳に残った。
いや心に響いたと言うべきか。
「何も失わずに手に入れたものなどくれてやる」
(SOUL’d OUT『Starlight destiny』より)
生まれて初めて聞く、少し嗄れた声で歌われるこの台詞は、
俺の心に冷水をぶっかけてくれた。
人は、何かが上手く行かないことが続くと段々と心が萎れてきてしまう。
あたかも、鉢に入れられ、水を与えられない観葉植物のように。
本当に大地に根を張った植物は、少々のことでは萎れ枯れることはない。
まして、大きく根を張り、幹を太くし枝を伸ばそうとするものなら尚のことである。
大木ばかりではない、可愛らしく小さな花を咲かせるサボテンも、
砂漠の真ん中で水を蓄えて日照りを気にしないかのように生き延びている。
俺たち人間は、何かを与えて欲しいと願っているのだろうか?
楽々と何かを手に入れようと企んでいるのだろうか?
否、そんなつもりはない。
皆、自分にとって大事な何かを必死で、つかみ取ろうとしているのだ。
つまり、努力し、リスクを取って何かを得ようとしている。
そうした考えの者にとって、ただ与えられただけの何かに、
どれほどの価値があるのだろうか?
俺たち人間は、餌を与えられるのを待つ家畜でもなければ、
水を差してもらうのを待つ鉢植えの観葉植物でもない。
「何も失わずに手に入れたものなどくれてやる」
この詞は、この歌は、そういった気持ちを再び鮮明に俺の心に蘇らせてくれた。
歌には、音楽には人の心を奮い立たせる力がある。
感動させる力が、また優しい気持ちにする力が、
つまり、心に大きな影響を与えることができる。
文字にも、映像にも、同じような力が存在するだろう。
人との出会いにも、人生を左右する大きな力が存在する。
人は、何かに出会い、何かに影響を受けて生きている。
不意に通り過ぎる予期せぬ一瞬の触れ合い。
そこには大きなエネルギーが秘められていることがある。
その一瞬を無意味にしてはならない。