最近、二つのパターンを経験した。
一つは、長野市のMウェーブ(注1)にPCT(注2)マシンを納品し、東京まで戻ってきた夜のことである。空きっ腹を抱えて、食事するところを探しに出た。食事にはもう遅い時間だったが、カップルやグループで賑わうレストランを見つけた。
「すいません。一人なんですが・・・」と申し訳なさそうに、店の中をのぞき込んでみた。素早く店員が反応し、「しばらくお待ちください」と店の奥へ。 「大丈夫です。どうぞこちらへ」と呼ばれるのに、たいした時間は掛からなかった。
俺以外は、皆二人組以上のお客でごった返す店で、一人で食事をするのは、居心地の良くないものだが、時折お皿を取りに来た店員さんが、ついでに声をかけていってくれるだけで罰の悪さは減少していった。
もう一つは、その翌日の出来事である。
マシンのメンテナンスにスタッフと出かけた先でのことである。
「すいません。3人ですが・・・」せわしなく動く店員さんから一瞬、視線を投げかけられたが、返事はもらえなかった。ちょうど昼時でごった返していたが、置き去りにされた感は拭えない。
じっと入り口付近で待ち、もう一度、目の前を通った店員さんに、「すいません。3人ですが・・・」と問いかけると、こちらの顔も見ずに「そこに名前を書いてお待ちください」と素っ気ない返事が返ってきた。そういわれて、順番を書き込む用紙に名前を書き待合席で待つことにした。静岡県のあるファミリーレストランでの情景である。
先に登場するレストランは、夕食とはいえ、後に登場するファミリーレストランとは約3倍以上の値段がついている。
では、気持ちよいサービスというものは料金で決まるということなのだろうか?
当然、料金が高いお店では、高い質のサービスを要求される。しかし、一流の料金を取る都内のホテルでも、気分の悪い思いをしたこともある。
サービスの質は、サービスする人間の問題か? それとも料金が高ければ教育が行き届いているから大丈夫なのか?
サービスとは、接客する側に立つ人間の言葉遣いや服装で、その全てが決定する訳ではないだろう。
人間の心に響くサービスとは、サービスに関するマニュアルを教育されただけでは、提供できない。
俺は、サービスをする人間自身が、相手のことを考えたサービスを提供しようと心がけているかどうかが、その質を決定すると感じている。
「一流」そう呼ばれるに値する仕事をする人間は、やはり、自分の仕事に「志」をもっている。
果たして俺たちは、自分の仕事を一流たるものにしようと心がけているだろうか?
注1)JOC指定競技別強化拠点。スピードスケートのナショナルトレーニングセンター
注2)PCT:パワー・チェンジ・トレーニング
http://tetsujin.tv/ptc/index.html