「変化と進化」
2008.03.17
TVでアナウンサーが、高橋尚子選手の名前を大きな声で繰り返し叫んでいた。
デスクワークをしながら、音声だけが聞こえる位置にいた俺は、まだレースが始まって、30分も立たないところだったので、「高橋選手が先頭に立ったぐらいで、声を荒立てるなよ」と、最近のTVにありがちな、必要以上に煽る実況が、また始まったと思って聞き流していた。
しかし、そのときTV画面では、高橋選手が、すでに先頭集団から離れだし、その映像を見た多くの人に衝撃と困惑を与えていた。
その日(9日)の夜、高橋選手の惨敗について多くのメディアが取り上げていた。
メディアの多くは、膝の手術に触れていたが、今回の名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子選手ほどのランナーが、スタート後たった9kmの地点で置いて行かれるという結果は、簡単に言ってしまえば、諸般の事情で調整に失敗したということになる。
高橋選手は、最近の約4年間で、レースとしてのマラソンを3回しか走っていない。つまり、どのレースにおいても調整期間は十分とれている筈だが、結果を出せていないということになる。
これはコンディショニング計画がうまくいっていないことを表している。
こうした結果を招く原因として、まじめで責任感が強い選手にありがちな、がむしゃらな努力を続けてしまっている可能性が高い。俺の経験から、まじめで責任感が強い選手は、放っておけば、いつまででも練習してしまう場合が多いからだ。
膝の故障が悪化したことも、ランニングフォーム改善への指導、そしてトレーニング計画作成と実行の問題であり、広義ではコンディショニングの範疇と言える。
奇しくも同じ日の夜、TVで、100m世界記録保持者で「世界最速の男」と呼ばれるアサファ・パウエル選手(ジャマイカ)を特集していた。
その放送の中で、トレーニングスケジュールに不満を漏らすパウエル選手に、チームの監督とおぼしき人間が、厳しくパウエル選手に苦しさを克服する重要性を言い聞かせている場面が放送されていた。
高橋尚子選手は、2005年5月に小出監督から独立し、自らが選んだスタッフを抱えてチームQを立ち上げている。当然ながら、そのチーム内では、高橋選手は、お金を引っ張ってくる社長であり、ずば抜けて素晴らしい実績を持った唯一の看板アスリートである。
もし、高橋選手自身が、コンディショニングについて無理な意見を言ったとして、その高橋選手に、先のパウエル選手に注意を喚起した人間のような、対等以上のポジションで、客観的な視点からアドバイスをできる、いや指示を出せる人間がいるのだろうか?
小出監督が、ニュースの中で「アドバイスできる人が周りにいないから・・」と話していた点が気にかかる。
高橋選手は、マラソンを走るスペシャリストである。しかし、チーム運営や、監督、あるいは、トレーナーのスペシャリストではない。これは素晴らしい営業成績を上げる社員が、いきなり社長となって、今まで通りの営業成績を上げながら、十分な経営手腕を発揮できるのか? という状況に似ている。
彼女は、「あきらめなければ夢は叶う」と常々発言している。俺もこの考えには賛同する。しかし現実には、ただ闇雲にあきらめないで頑張っているだけでは、努力は実を結ばない。
そんなことは、少しでも、何かに真剣に挑戦をしたことがある大人なら、皆が経験していることだろう。重要なことは、夢=目標に対して「正しい努力」を探し出し、実行し続けることができるか? ということである。
彼女は今まで、人一倍努力を積み重ねてきた。そして、それを常に結果として表すことができていた。しかし、35歳という年齢を考えたときに、もうがむしゃらな努力を続け、しかも専門外の負担を背負っていては、いかに彼女の根性と才能を持ってしても、結果を出せないという時期にきているのではないだろうか?
もし今後も、マラソンのエリートランナーとして、それに値する結果を出そうとするなら、対等以上のポジションを取れるアドバイザーを迎え入れ、彼女がスペシャリストとして、本職のランナーであることだけに専念できる環境作りが必要不可欠と言えるだろう。
月日と共に、人間も社会も変化していく、そして今や変化の過速度は、過去の経験だけを頼りとしては、対応していくことすら困難といえる激変の時代となっている。
果たして俺たちは、常に変化し、そして進化していくことができているだろうか?