「想定」
2008.02.28
南青山のOVEで、5月出版予定の書籍の打ち合わせを済ませ、キヤノンファインテック株式会社の社内報のインタビューを受けるためナナブックスの本社に向かった。
キヤノンファインテック株式会社の取り組むメインテーマは「変わって前進すること」である。売上高が、優に1700億円を超える上場企業が、変化と前進を旗印に、時代の激変に対応し、さらに躍進する方法を真摯に模索している。
もちろん例外はあるだろうが、こうした改革に取り組む姿勢と努力は、中小零細企業に比べ、大企業の方が積極的なことが多いと感じている。つまり大手の方が努力していると感じるのだ。しかし、本当に存続の危機をかけて変化し前進しなければならないのは、弱者の立場にある中小零細企業のはずだ。
スポーツの世界でも、自分たちより成績が上の選手より、努力しない下位の選手が大勢いる。すでに実力が上の選手より、少ない努力で、その上位選手を超えられるとは思えない。つまり、超えていく気がないと言うことだろう。
一口に努力といっても、努力の仕方は、目標によって違ってくる。
これは、病気によって薬が変わることと同じだ。いかなる良薬をもってしても、それですべての病気に対応することは不可能である。いくらすばらしい風邪薬であっても、目薬や胃腸薬の代わりにはならないし、まして抗がん効果を発揮することはない。
目標達成には、明確に目標を定め、その達成に最適な方法を地道に続けていくことが重要となる。しかし、いくら適切な方法であっても、その強度設定が適切でなければならないという点を見落としていることが多い。
アスリートが、日本一を目指すとするなら、日本一になる想定の練習をするつもりがなければならない。例えばマラソンにおいて、全日本レベルの優勝タイムが、仮に2時間6分のタイムなら、とりあえず1kmという距離を、3分を切って走ることが出来なければ、最初から話にならないと言うことだ。
それと同じように、企業としても個人としても、仮に日本一を目指すなら、社員全員が、あるいは、その本人自身が、日本のトップとして恥ずかしくないレベルの職業意識と仕事をするつもりがなければ、話にもならないと言うことになる。
自分の日頃の取り組みが、あるいは日常の練習タイムが、常に想定するべきタイム、もしくは想定する基準を下回ることしかできないようでは、目標達成はただの戯れ言以外の何者でもない。
はたして俺たちは、常日頃から、目指す目標を達成することを前提として、課題や仕事に取り組めているだろうか?