「歩く」
2007.12.07
久しぶりに一日中歩きまわった。
渋谷のハチ公前は、いつ来ても“世界でこれほど人口密度が高いポイントは無いのでは?”と思えるほど人が溢れている。その中を、人をかき分けるように東急ハンズへ向かって歩いた。
日用品を買ったことがなく、ゴミ箱一つの値段も分らない俺は、そこについている値段が適正なものかどうかの比較も出来ない。必要とする物を、限られた範囲の情報で選ぶことは意外と骨が折れる。
南青山のBoConceptでデスクを決め、渋谷ロフトと東急ハンズで両手いっぱいの収納用品を買って、南青山の事務所へ戻った。
荷物を部屋に投げ入れて、一息ついた俺は、この何年間かで、一番長く歩いたであろう今日を振り返った。渋谷の道を行き交う人達は、皆せわしく歩いていた。都市によって、年齢によって、その時々の目的によっても人間の歩く速度は変わる。
何年か前の健康運動指導士の講習会で、東京のサラリーマンの人が一番よく歩き、佐賀県の農家の人が一番歩かないという話を聞いたことを思い出した。東京で地下鉄を乗り換えて移動するには、意外と歩かなければならない。しかし、車がなくても、行きたいところへ行けるだけの交通網が発達している。
一方、佐賀県の農家の人は、家の前から畑までトラックで移動、すぐ耕運機に乗り換えて畑で作業をし、またトラックに乗って家に帰る。これではほとんど歩くことがない。
歩くということも、その条件によって、速度、距離、そして向かうべき方向も変わってくる。
今、自分は何故、その速度で、その方向に、どこまで歩いていこうとしているのか?
明確な答えを持ち合わせていなければ、その歩みは、目指す方向が分らない迷い子の徒労に近いと言える。
俺たちは、ゆっくりでも、少しずつであっても、自らの目指す、歩むべき方向へ進んでいるのだろうか?
まだ、カーテンもない部屋に差し込む夕陽が、今買って来たばかりの荷物と散乱する包装紙に長い影をつけていた。