「安全」
2007.10.02
カメラを持ったまま人が倒れている写真が、新聞の一面に大きく掲載されていた(9月28日、朝日新聞)。
ミャンマー・ヤンゴンで反軍事政権のデモを取材中に撃たれて死亡したジャーナリスト長井健司さん(50)の写真だ。
当初、治安部隊に追われて逃げ惑うデモ参加者を撮影中に流れ弾に当たって倒れたとされていた。しかし、米テレビCNNなどが放送した映像から武装兵士に至近距離から撃たれたことが判明している。そしてミャンマー当局から返却された長井さんの遺品の中に銃撃されたときに撮影に使っていたカメラは含まれていなかった。
1988年に政権を掌握した国家法秩序回復評議会(SLORC)は総選挙をすると約束し1990年にアウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連合が圧勝したにもかかわらず政権を移譲しないなど、ミャンマーは、まだまだ民主化には道のりが遠いと言わざるを得ない国だった。先日のイラクのバクダットにあるマンスール地域で起こった銃撃事件など、ミャンマーに限らず、まだまだ世界には一般市民が日々いつ銃弾に倒れるかと不安に過ごさなければならない国がある。
もしあなたが、そうした国で生きていくとすれば、今と同じ感覚で日々を過ごしているだろうか?もちろん今より貧しく将来を考える余裕もないかもしれないが、今日も生きているということに対する重みは変わってくる筈だ。明日死ぬかもしれないと本気で思えば、今をどう生きるかということに対する思いは当然変わってくる。このような紛争が起こった国に住んでいなくても、誰も人の生き死を正確に予測することはできない。
はたして俺たちは、日頃の安全が当たり前の生活にあぐらをかくことなく、振り返って後悔のないと言える毎日を過ごしているだろうか?