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松本 整 オフィシャルブログ「鉄人疾走」

「喪失と責任の関係」

2007.08.21

先日、キャラメルボックスが公演する「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」を観に大阪のシアターBRAVA!まで出かけた。予想以上にアップテンポで進むその劇の内容は、家族の在り方と男女間の在り方、つまり愛の在り方について考えさせられる内容となっていた。

劇中では、家族が一つになることの象徴を年に一度の家族旅行という形態で表していた。
普段はバラバラの家族が年に一度だけスケジュールを合わせて一緒に行動する。
個の集合体である家族がどうお互いを想い合うか?集合体を考える時、常に個自身が自分の人生を充実させる努力をしているかが問われるのではないだろうか?
そして劇中では男女の愛の在り方を家族の在り方にからめて展開して行く。

俺自身、誰もが生まれながらに手に握りしめているはずの家族というもの。そして成長する過程で手を握り合っていく友というもの。そうした関係のいくつかを自分が信じ、目指すものを掴むために失って来た。
いや手放したという方が正確かもしれない。自ら手を離したもの。引きちぎられるように失くしたもの。どちらにしろ、心には大きな喪失感を残す。

誰もが何かを失い生きている。誰もが何かを得ようと生きている。俺はそうしたすべては必然だと考えている。俺は俺の手から離してしまったすべてに、納得してもらえるだけの歩みを残しているだろうか?いや残さねばならない。それだけの責任と明確な意思がなければ意志を持って行った喪失はその役目を完了しないことになる。

意志持って行った喪失。それに応えていくべき生き様は、結果を伴った形で示さねばならない。失うたびに背負うものは大きくなる。一見矛盾する喪失と責任の関係、この関係を心に刻んで目指す目的地に向かって歩いてゆかなければならない。
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