BLOG

松本 整 オフィシャルブログ「鉄人疾走」

「Why」

2007.06.18

少し前の日経新聞夕刊に、登山についてのコラムが載っていた。
その記事によるとチョモランマ登頂という世界では、人が横で死んで行っても助けることすらできない厳しい状況があるという。特に下山は死と隣り合わせで、筆者自身が酸欠による微かな意識のなか、以前に亡くなった他の登山家たちの屍の上を歩いて下山して行く情景が描かれていた。そこでは、生に対する気持ちの強さのみが、自分の命を何とか守りきる生命線となるという極限の状況が綴られていた。
しかし、この状況はチョモランマだけのものではない筈だ。例えば俺の居た世界である競輪でも本来究極の勝負とは、そこに散っていく他の選手を踏み越えて勝利を目指す覚悟が必要となる。甘ちょろい仲間意識を持っていては、一生涯本物の勝負だけが与える至福の緊迫感は味わうことは出来ない。
もちろん、ビジネスの世界でも、日常のなかにチョモランマの世界と同じ状況は存在する。ビジネスマンがにこやかに交わす笑顔の裏で、必死に生き残りをかけて企業間の戦いが行われている。競輪の落車や、格闘技の試合のように、生身の体に傷が付き、鮮血に染まることが無いから、感覚として分かりにくいだけである。
しかし、そこ(ビジネスの世界)で負う傷は、生身の傷以上にダメージは深刻だ。判子一つが、本人が死んだあとでも威力を発揮する。見方によれば命より重いものが、その世界には存在すると言えるだろう。
そして、この世界は、体重別でもなければ、脚力によるクラス分けもない。企業規模でいえば、生まれたばかりの赤ん坊に対して、プロレスラーが大群で喧嘩を売っている以上の体力差がある。それでも同じ土俵なら勝敗を競わなければならない。一瞬先が見えない愚か者。それこそが企業家かも知れない。しかし、一瞬先が読めないそんな戦いに挑む人もいる。決死の登山をなぜか敢行する登山家がいるように・・・。
バックナンバー
一覧をみる 一覧をみる

ページトップへ戻るページトップへ戻る