「曲」
2006.07.11
朝、フィギアスケートの織田選手のリンク練習帯同から帰り道、しばらくぶりの運転に音楽をかけてみた。最近自分で運転する事が少なくなっただけに、カーステレオに何が録音されているかも忘れていた。そろそろ道も混みだす時間となり、ゆっくりと車を流しながら音楽に耳を傾けていると少し前に流行った曲名を思い出せない曲が流れてきた。
10代の子供に人気だったこの曲は、俺自身の高校生の頃を思い出させる歌詞だった。あの頃、俺は研いだ剣山のような男の子だった。その頃感じた友情や愛情は永遠に続くと信じていた時代だった。いやそこで感じるものが人生のすべてだったからそう感じたかったのかもしれない。競輪選手となり、その職業を誇りに思った時に、自分の中では断ち切らなければならない友情もあった。人の生きる道は段々と離れて行く。いつまでも、皆が同じ方向を見ている訳ではない、修正がきかない分岐点を越えて歩いていかなければならないこともある。それほど自身の職業(競輪)に想い入れは強かった。多くのものを失い、大事だったものを捨てて誇りを手に入れようとした。しかし選手である人生にも終わりは来る。それだけに常に一瞬一瞬が大事な時間と感じられた。
いまサッカー界では中田選手やフランスのジダン選手がサッカー選手としての生活を終えるという。彼らも手にした栄光の陰に、人知れず何かを失って来たことは容易に想像できる。
すべてが納得の行く区切りとはならなかったかもしれない。奇しくもW杯決勝戦でPKをはずしたフランスのトレセゲ選手は語った。「それでも人生は続く」
選手に限らず誰もが、うしろを振り返っている時間はない。新たな挑戦を続けるしかない筈だ。偶然流れた一曲が、幾つもの違う人生が、違う速度と違う方向を持ちながら同じ時代の道を走っていることを改めて感じさせてくれた。そう考えると何故か運転する俺の右足に力が入った。